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怒られることの恐怖
 

「ベルリン」という映画がある。永瀬正敏が主演した邦画だ。みんながんばれ、とつぶやくホテトル嬢は、自分のできることで人を幸せにしている。彼氏ができ、仕事をやめたらと言われたことに対して、泣き叫びながら言う。アタシにできることはこれしかないのに怒らないで、と。そして、姿を消す。

「怒らないで。私を怒らないで。お願いだから。」

  子供の頃、父に叱られることは恐怖だった。いつも父の顔色を見て過ごしていたようなものだ。母はそんな私に「一番おまえのことを心配しているのは、お父さんなのよ」と言って聞かせてくれた。そうなのか、と素直に思い、これが親の愛情なのだと思うようにした。ただ、それでも、怒られることだけが恐怖心として残り、反省も反抗もできずけっきょく泣いてばかりいた。
二十歳の頃、一緒にいた男性がいた。年下でもしっかりしていて、家業を継ぐために就職をした、将来のことを考えた真面目な人だった。いずれ結婚しようと言われていた。とても優しく、大切にしてくれた人だったが、私の行動、言動が気に入らないと、火のついたように猛烈に怒られた。帰りが遅いと問いただされ、誰と何をしているか執拗に聞かれた。レールから外れようとすると補正してくれる、私にとって正しい道をゆくためのパートナーなはずだった。が、怒られるということに恐怖しか感じなければ、怒られないように努力することにすり変わっていくのだった。

それ以来、誰といても、何をしていても、こういう時はどうしていればいいのだろうと考える。それは自分がそうしたいと思って動く力と違う気がする。怒られないよう立ち回る。それは誰とどうしていても同じ。 私の意思はどこにあるのだろう。怒られない、自由な世界は、いつも妄想の中。

 

 

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Presented by
Megumi Hinokiyama
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